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tal9blog

「折り合いをつける」ということ

競馬用語に「折り合いをつける」というのがある。

競走馬は調教され、気性を矯正されレースに臨むわけだが、競走馬の気性が先行し、騎手のコントロールを離れ、自由気ままに行こうとしてしまうことがある。この行きたがる状態が全面に出ている状態を「かかっている」という。大前提として、騎手は「かかっている」状態にしないことが望ましい。しかし、競走馬は生き物であり、そう簡単にコントロールできるものではない。

「かかっている」競走馬とそれを押さえつけようとする騎手。この競走馬と騎手が喧嘩している状態を「折り合いがついていない」という。はたして、競走馬のエネルギーは摩耗し、レースという勝負からは脱落である。名手といわれる騎手は「かかっている」馬をあえて抑えこもうとせず、ある程度自由に行かせてやるのである(あくまでBプランではあるが)。そうすることで競走馬も平常心を取り戻し、エネルギーのロスを最小化できるのである。

一般的なところの「折り合いをつける」というのが、妥協点を見つけるというような意味合いだとすると、競馬用語の「折り合いをつける」はもっと幅のある表現だといえそう。

この相違の要因はなにか?「競走馬=感情、騎手=理性」と考えるとよい。一般用語の場合、感情は理性の下位概念として位置付けられ、理性にてコントロールされるべきものとして扱われている。一方、競馬用語の方においては、感情・理性はフラットな関係といえよう、いやむしろ感情の方が優位といえるのかもしれない。

「折り合いをつける」、味わいのある表現だと思う。そんな僕は最近すっかりかかり気味なわけだがw理性という手綱を通じて、うまく折り合いを付けたい。あらゆるレースに勝ち負けするにはまずそこからだ(この「勝ち負け」というのも好きな表現の一つだ)。